東京地方裁判所 昭和60年(ワ)9570号 判決
原告
山村友良
原告
小林強道
原告
笠石朝男
右三名訴訟代理人弁護士
多賀健三郎
同
中島修三
同
小澤英明
同
西村孝一
同
渡辺征二郎
同
中島敏
同
高田昌男
同
今村昭文
同
松島洋
被告
国
右代表者法務大臣
遠藤要
右指定代理人
野崎守
外三名
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告山村友良(以下「原告山村」という。)に対し、金九四六万二三七一円及びこれに対する昭和六〇年八月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告小林強道(以下「原告小林」という。)に対し、金二五六〇万四一七七円及びこれに対する昭和六〇年八月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告笠石朝男(以下「原告笠石」という。)に対し、金九九三万三四五二円及びこれに対する昭和六〇年八月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被保全債権
(一) 中江の甲野に対する貸金債権
(1) 中江滋樹(以下「中江」という。)は昭和五八年一二月二八日、甲野花子(以下「甲野」という。)に対し、七〇〇〇万円(以下「本件貸金」という。)を期限の定めなく貸し渡した(以下「本件消費貸借」といい、これに基づく債権を「本件貸金債権」という。)。
(2) なお、「バンキング」名義で本件貸金が甲野に貸し渡されたとしても、「バンキング」は独立の法人格を有さず、次のとおり、その実体は中江個人であるというべきであるから、中江が貸主であつたことに変わりはない。
すなわち、「バンキング」は、中江が昭和五八年四月ころいわゆる投資ジャーナルグループ内の私的金融機関として設けた部門で、その主たる目的は、グループ内各企業(後記の証券三社)や中江が騙取した金員を集中し、これを同グループの構成員が行う事業に融資することにあり、株式会社投資ジャーナル(以下「投資ジャーナル」という。)とは全く別個の独立した部門として、昭和五九年九月ころまでには法人化される計画であつたこと、「バンキング」の資金の運用は、すべて中江の決裁のもとに行われていること、銀行関係でバンキング代表者とされていた高木邦夫(以下「高木」という。)は、「バンキング」の代表権、代理権もなく、単なる事務上の責任者にすぎなかつたこと、以上の事実によつて、その実体が中江個人であることは、明らかというべきである。
なお、投資ジャーナルの昭和五八年九月の決算に「バンキング」名義の預金が計上されているが、これは投資ジャーナルグループの決算処理上の便宜的措置としてされたにすぎず、右のような「バンキング」の実体を左右するものではない。
(二) 原告らの中江に対する債権
(1) 原告山村は、昭和六〇年四月二二日、本件貸金債権のうち、九九八万〇一一二円について差押及び転付命令(当庁昭和六〇年(ル)第一七六〇号)を受け、右命令は、同年七月一日中江(債務者)に、同年五月二三日甲野(第三債務者)に、それぞれ送達された。
(2) 原告小林は、昭和六〇年七月四日、本件貸金債権のうち、二七〇〇万五一三〇円について差押及び転付命令(当庁昭和六〇年(ル)第三〇七三号)を受け、右命令は、同年一〇月三〇日中江に、同年七月一一日甲野に、それぞれ送達された。
(3) 原告笠石は、昭和六〇年五月二三日、本件貸金債権のうち、一〇四七万六九六九円について差押及び転付命令(当庁昭和六〇年(ル)第二二七七号)を受け、右命令は、同年五月三一日中江に、同年七月一一日甲野に、それぞれ送達された。
2 保全の必要性
甲野には、現在、請求原因1の各債権を満足させるに足りる資力がない。
3 代位の目的である債権(甲野の被告に対する不当利得金返還請求債権)
(一) 甲野は、昭和六〇年五月二二日、被告に対し、四五〇〇万円を支払い、被告は、これを受領した。
(二) 甲野の右支払は、同人が同年四月一日東京国税局から左記の債権差押通知を受けたために、その一部の弁済として、したものである。
記
滞納者 株式会社投資ジャーナル(以下「投資ジャーナル」という。)
滞納所得税等金額 合計一億二〇七二万〇八五四円
差押債権 投資ジャーナルが、昭和五八年一二月二八日付で甲野に貸し渡した七〇〇〇万円の返還請求債権
(三) しかるに、右七〇〇〇万円の貸主は、請求原因1(一)のとおり、投資ジャーナルではなく中江個人であつたから、甲野の前記四五〇〇万円の支払は法律上の原因がない。
よつて、原告らは、被告に対し、前記差押及び転付命令によつて得た中江の甲野に対する貸金債権を保全するため、甲野の被告に対する不当利得返還請求権に基づき、そのうち、原告山村において九四六万二三七一円、原告小林において二五六〇万四一七七円、原告笠石において九九三万三四五二円及びそれぞれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年八月三一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)のうち、(1)は否認し、(2)のうち、「バンキング」が法人格を有していなかつたこと、高木が銀行関係で「バンキング」の代表者とされていたこと及び投資ジャーナルの昭和五八年九月の決算に「バンキング」名義の預金が計上されていることは認めるが、その余は否認する。甲野は、本件貸金を中江ではなく投資ジャーナルから「バンキング代表高木邦夫」名義で借り受けたもので、次のとおり、「バンキング」は、投資ジャーナルの一部局であつた。
すなわち、「バンキング」は、中江の発案により、投資ジャーナル及びその関連会社(投資ジャーナルグループ各社)の資金を一括管理し、投資ジャーナルグループの金融機関的存在たることを目的として設けられたもので、昭和五八年三月ころから、右グループの資金の管理等の事業を行つていた。その事務は、投資ジャーナルの総務部の管理に属し、かつ、投資ジャーナルから給与の支給を受けていた職員が担当し、投資ジャーナルの総務部長である高木がその責任者となつていた。また、投資ジャーナルの事務室内で、その事務は執り行われ、投資ジャーナルがリースした電子計算機を使用していた。しかも、同年九月八日、「バンキング代表高木邦夫」名義で東京証券短資株式会社(以下「東京証券短資」という。)から三億円を借り受け、これを原資として富士銀行蛎殻町支店等において、同名義で普通預金口座を開設したが、これらはいずれも投資ジャーナルの借入金及び預金口座として、その第五期の決算報告書に計上されている。そして、「バンキング」の経済活動の結果もまた、右決算報告書に計上されているのである。以上によれば、「バンキング」は、投資ジャーナルの管理下において運営されていたその一セクションを示すものであつて、その行為の実質は、投資ジャーナル自体のそれであることが明らかというべきである。
2 同1(二)はいずれも知らない。
3 同2は否認する。
4 同3のうち、(一)及び(二)は認め、(三)は否認する。
第三 証拠〈省略〉
理由
一まず、中江が本件貸金を甲野に貸し渡したものと認められるかについて判断する。
1 〈証拠〉によれば、中江は、昭和五八年一二月二八日当時、「月刊投資家」なる月刊誌の出版、販売及び投資顧問業等を業とする投資ジャーナルの実質的経営者であり(投資ジャーナルは、昭和五三年一〇月四日、中江が設立した会社で、当初、同人がその代表取締役に就任し、後に、加藤文昭にその地位を譲つたものの、同社の実権は引き続き中江が握つていた。)、かつ、投資ジャーナルグループの会長として、業務全般を掌理し、その運営についても、一々取締役会等に諮ることもなく、自ら決定するなど、同グループを独裁的に主宰していたこと、同グルーフは、投資ジャーナルのほか、中江が昭和五五年九月から昭和五八年一一月にかけて設立した、有価証券の取得、運用、保管及び金銭貸付業務を目的とする東証信用代行株式会社(以下「東証信用代行」という。)、これと目的を同じくする株式会社東京クレジット(以下「東京クレジット」という。)及び日本証券流通株式会社、未登記の株式会社証券システム並びに商品の発送、抵当証券の売買及び斡旋業務などを目的とする日本事務代行株式会社などから構成されていたことが認められ、中江の供述中、右認定に反する部分は採用することができない。また、〈証拠〉によれば、甲野が、前記当時、「乙野はな子」の芸名で歌手として活動していた者であること、中江は、そのころ以前から歌手甲野のファンであつたところ、昭和五八年一月ころ、投資ジャーナルグループで発行する雑誌の表紙に載せるために同人を取材したことから、その後、食事を共にするなどの交際をするようになつたことを認めることができる。
2 中江が昭和五八年一二月二八日、甲野に対し、本件貸金を交付したことは、当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、右交付は、現金をもつて、投資ジャーナル本社ビル四階の「サロン」と呼ばれていた部屋においてされたこと、その場には、貸主側としては、中江以外の者は同席しておらず、甲野と貸借についての交渉を行つたのは中江であつたことが認められる。
3 〈証拠〉によれば、本件貸金の交付を受けたその場では、金銭消費貸借契約書は作成されず、昭和五九年二月ころになつて、甲野の自宅において初めてこれが作成されたこと、しかし、その弁済については、本件貸金が交付された際に中江、甲野間において、右交付の六か月後(同年六月)から毎月五〇万円宛支払う旨が口頭で約されたこと、しかし、これには利息は付けられず、担保を設定する話もなかつたことを認めることができ、中江の供述中右認定に反する部分は採用することができない。
以上の事実及び前記認定のとおり中江が甲野のファンだつたことに照らすと、本件貸金は、中江の甲野に対する個人的好意に基づいて交付されたものと推認することができる。
4 しかしながら、本件貸金が甲野に貸し渡されるに至つた動機が、中江の個人的な好意に基づくものであり、かつ、中江自身によつて本件貸金が交付されたものであつて、しかも、貸し渡されたその場で契約書が作成されず、利息及び担保設定の約定もなく、弁済に関する約定も借主に有利なものであり、また、本件貸金が甲野に貸し渡された際に現実に関与したのが中江のみであつたとしても、中江の投資ジャーナル及び投資ジャーナルグループにおける前記認定の地位等にかんがみると、これらの事情から直ちに、本件貸金の貸主が中江個人であると速断することはできないものというべきであり、この点の判断は、本件貸金の出所や貸主についての関係者の認識等との関連において更に検討されなければならない。
5 〈証拠〉によれば、本件貸金は、中江が「バンキング」の代表者であつた高木に命じて用立てさせたものであつて、その出所は「バンキング」であつたと認めることができる。
6 しかも、〈証拠〉によれば、甲野は、本件貸金は中江の紹介で「バンキング」から借り入れたものと認識しており、「バンキング」が投資ジャーナルグループの関連組織であることは知らず、これを有名な銀行のひとつと考えていたことが認められる。そして、この事実によれば、借主である甲野には、中江個人が貸主であるとの認識はなかつたということができる。
もつとも、〈証拠〉によれば、昭和六〇年三月二九日に甲野が中江個人を被供託者として、本件貸金の一部弁済として一二〇万円を供託したことが認められる。しかし、〈証拠〉によれば、甲野から委任を受けた山之内三紀子弁護士(以下「山之内弁護士」という。)が、同月二八日に「バンキング」を被供託者として右一二〇万円を供託しようとしたところ、「バンキング」では法人名か個人名か不明であるとして受理を拒否されたこと、しかるところ、山之内弁護士は、甲野が中江から交付を受けた本件貸金は当時喧伝されていた贈与ではなく消費貸借である旨を説明するために、同月三〇日に記者会見をする予定であつたので、右記者会見までに返済意思の証明として供託を済ませておく必要があると考えていたこと、そこで、応急措置として中江を被供託者として供託したにすぎず、その後右供託金の還付を受けていること、「バンキング」の代表者とされる高木を被供託者としなかつたのは、先に高木から受領権限がない旨の確認書(乙第一一号証の二)を受け取つていたためであることが認められ、それ以上に、山之内弁護士ないし甲野において、本件貸金の貸主が中江であると考えていたことを認めるに足りる証拠はない。この事実に照らすと、山之内弁護士が中江宛に弁済供託したという一事のみをもつて、甲野が中江を本件貸金の貸主と認識していたものと認めることはできない。
7 また、本件貸金を交付した際の中江の認識についてみても、〈証拠〉によれば、中江は、甲野に対して、「僕のよく知つている金融機関があるから紹介してあげる。」という言い方をしていることが認められるし、弁論の全趣旨によれば、中江自身も、中江個人が貸主であるとの明確な意識は有していなかつたことが認められる。
もつとも、〈証拠〉によれば、昭和五九年一月ころ、「バンキング」の中江に対する貸付けを甲野に振り替える経理上の処理がされたことが認められる。しかし、右にいう「バンキング」の中江に対する経理上の貸付けをもつて、「バンキング」から中江に対し、本件貸金が貸し渡されたことを意味するとまでは認めることはできないし、真実「バンキング」から中江に対して貸し渡しがされ、これを中江が甲野に貸し渡したのであれば、昭和五九年一月の段階で、あえて、これを甲野に振り替える必要性は見出し難い(中江は、同年三月か四月ころ、本件貸金の交付がマスコミに知られそうになつたので、その隠ぺい工作を始めた旨供述しているが、右供述を前提としても、同年一月の時点ではかかる隠ぺい工作を必要とするような状況はなかつた。)。したがつて、右振替えの事実は前記認定を左右するものではない。
8 更に、〈証拠〉によれば、昭和五九年二月ころになつてから、中江が金銭消費貸借契約書用紙を甲野方に持参し、甲野がこれに署名押印して本件貸金を借り受けたことについての契約書(以下「本件契約書」という。)を作成したことが認められ、中江の供述のうち、この認定に反する部分は採用することができない。
そこで、本件契約書の貸主名義が誰とされていたかについて検討するに、〈証拠〉によれば、甲野が、大蔵事務官の事情聴取の際に、右契約書の貸主欄は「バンキング」となつていた旨供述していることが認められ、また、〈証拠〉によれば、当時「バンキング」の事務を担当していた伊東典子が、昭和五九年一月ころ、甲野に対する七〇〇〇万円の金銭消費貸借契約書の貸主欄に「バンキング代表高木邦夫」と記載した旨供述していることが認められる。これらの事実及び前記認定の山之内弁護士が、「バンキング」を被供託者とする供託をしようとした事実を併せ考えると、本件契約書の貸主欄には、「バンキング代表高木邦夫」と記載されていたものと推認することができ、これに反する中江の供述部分は採用し難い。
9 以上の事実によれば、本件貸金を交付するについて、その実行に関与したのが中江のみであり、本件貸金の交付が中江の甲野に対する個人的好意の感情に動機づけられていたとの事実があつたとしても、「バンキング」と無関係に、中江個人として本件貸金を甲野に貸し渡したものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
二そこで、「バンキング」の実体が中江個人と同視されるものであるかどうかについて更に判断する。
1 「バンキング」に法人格がなかつたことは、当事者間に争いがない(なお、これを権利能力なき社団または財団とする証拠もない。)から、「バンキング」が法律的意味において本件貸金の貸主であつたということはできない。
2 そこで、まず、「バンキング」の創設経緯等について考察する。
中江証言によれば、「バンキング」は中江が昭和五八年二月ころ、投資ジャーナルグループの余剰資金を集めて一括管理し、これをその従業員等が営む有望な事業に融資する目的で、いわば独立採算制の同グループ内の金融機関とすべく創設したものであることが認められる。
また、〈証拠〉によれば、投資ジャーナルが、同年九月八日ころ、東海銀行日本橋支店振出の二通の小切手で、東京証券短資から三億円を借り入れたこと、右小切手は「バンキング代表高木邦夫」名義の裏書をされて決済されたうえ、同日、右三億円が富士銀行蛎殻町支店に入金されて、「バンキング代表高木邦夫」名義の普通預金口座(口座番号八九三九〇一。以下「本件口座」という。)が開設されたことが認められる。
以上の事実によれば、「バンキング」が実際に活動を開始したのは、昭和五八年九月ころからであり、その際の開設資金は、投資ジャーナルが東京証券短資から借り入れていることが認められる。
3 次に、「バンキング」の資金の出所について検討する。
〈証拠〉によれば、本件口座への入金は、主として東京クレジット及び東証信用代行の二社が顧客から集めた資金で占められていること、しかし、投資ジャーナルからの入金も昭和五八年一〇月一四日から昭和五九年四月一九日の間一八回にわたつてされており、その額も、前記二社とは大差があるものの、本件口座に入金者として現れている投資ジャーナルグループの中では三番目に多いこと、これに対して中江からは昭和五九年三月五日に二〇〇〇万円が一回入金されているにすぎないことが認められる。そして、〈証拠〉によれば「バンキング代表高木邦夫」名義の預金口座は、昭和五八年九月三〇日現在で、本件口座の他に、太陽神戸銀行八重洲支店、三和銀行八丁堀支店、東都信用組合本店にも開設されていることが認められるところ、その中で本件口座の預金額が最も多いので、「バンキング」全体の資金構成も、ほぼ本件口座のそれに沿うものと認めることができる。
4 「バンキング」の業務内容及び運営について考察する。
(一) 〈証拠〉によれば、「バンキング」は投資ジャーナルグループの金融機関的存在として、投資ジャーナルを含む同グループから集めた余剰資金を一括管理し、これを同グループ傘下の各事業への資金として貸し付けることを主たる業務とし、同グループ外の第三者への貸付けをすることも一部あつたことが認められる。
(二) 〈証拠〉によれば、「バンキング」から資金を支出して貸付けをするに当たつては、原則として中江の承認を受けることが必要で、右承認は、「バンキング」の事務担当者が予め必要事項を記入して作成したバンキング貸出票として伝票に中江が署名する形で行われることとされていたこと、ただし、黒字会社に対する貸付けは高木の承認限りでできたことが認められる。もつとも、中江の供述中には、高木は単なる事務の長であつて同人自身には一円の金も動かす権限はなかつたとの部分がある。しかし、弁論の全趣旨によれば、中江の供述には、投資ジャーナルグループにおける同人の独裁ぶりを殊更に誇示しようとする傾向が窺われるので、前掲乙第五号証の一に反する右供述部分は直ちに採用することができない。
(三) また、〈証拠〉によれば、「バンキング」からは中江個人に対しても貸付けがされていたこと、その際には「バンキング」の帳簿に「会長貸出し」と記載されていることが認められ、これによれば、中江自身も「バンキング」の資金と自分自身の資金とは、一応区別して取り扱わせていたということができる。
(四) なお、〈証拠〉によれば、中江は、昭和五九年九月をめどに「バンキング」の法人化を計画してそのための準備を進めており、発起人も決めていたこと、しかし、中江自身は発起人には入つておらず、その準備は部下に任せていたこと、右法人化は、中江らが詐欺等の容疑で摘発されたいわゆる投資ジャーナル事件のため、結局実現しないままに終つたことが認められる。
5 更に、「バンキング」の人的物的設備について検討する。
(一) 〈証拠〉によれば、「バンキング」には、代表である高木のもとに四、五人の職員が勤務していたが、高木は、投資ジャーナルの総務部長を兼任しており、その余の職員も、全員が投資ジャーナルの総務部に所属し、投資ジャーナルから給料の支払を受けていたことが認められる。中江の供述中右認定に反する部分は採用することができない。
(二) 〈証拠〉によれば、「バンキング」の事務所は、東京都中央区八丁堀二丁目二四番四号所在の第二昭鉄ビル五階に置かれていたこと、これは投資ジャーナルの総務部の所在地と同一であることが認められるところ、〈証拠〉によれば、右ビル五階部分の賃貸借契約が昭和五八年八月ころ投資ジャーナルによつて締結され、賃料の支払も、投資ジャーナルによつてされていたことが認められる。また、〈証拠〉によれば、「バンキング」が使用していた電子計算機の少なくとも一台については、投資ジャーナルがリース契約を締結して、リース料を支払つていたことが認められる。
6 加えて、「バンキング」の決算処理についてみるに、〈証拠〉によれば、昭和五八年九月三〇日現在の「バンキング代表高木邦夫」名義の預金口座の預金の全てが、投資ジャーナルの第五期(昭和五七年一〇月一日から昭和五八年九月三〇日まで)決算書に投資ジャーナルの預金と一括して計上されていたこと、「バンキング」自身は独自の決算を行わず、投資ジャーナルの決算に組み入れていたことが、認められる。
もつとも、中江は、これは「バンキング」が法人格をもたないところから、税務対策上の経理処理として投資ジャーナルグループ内のいずれかの企業と包括して決算する必要があつたからにすぎず、特に投資ジャーナルに組み入れなければならない必然性はなかつたと供述している。しかし、仮にそうであつたとしても、右供述も「バンキング」の経理処理が中江個人のそれとして行われていたことを述べた趣旨とは解されないから、同供述は、前記認定を左右するものではない。
7 以上の諸事実に照らすと、「バンキング」は、一応、投資ジャーナルグループのための独立した組織といえなくはないのであつて、「バンキング」の実体が中江個人であるとは到底認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
もつとも、中江の供述中には、投資ジャーナルグループは、実際には「中江グループ」と称すべきものであり、投資ジャーナルは、他のグループ各社の親会社でも何でもなかつたとの部分がある。しかし、弁論の全趣旨によれば、中江の右供述は、自然人と法人との区別をはつきり認識しないまま、自己の存在を殊更に誇示しようとしてされたもので、投資ジャーナルグループの客観的実態を表わしているものとはいい難いから、採用することができない。むしろ、「バンキング」への中江個人からの入金は一回しかみられないこと、中江自身も自己の個人資金と「バンキング」の資金は一応区別して取り扱つていたこと、「バンキング」の法人化を進めるに当たつても、自らは発起人にもならず、部下に任せていたことに照らすと、「バンキング」と中江個人とは、別の実体であつたといわざるをえない。中江が「バンキング」の資金の支出について承認権を握つていたとしても、これは、中江が投資ジャーナルグループにおいて前記認定のような地位等にあつたからというべきであつて、実質上の権限が中江にあつたことを示すにすぎないものであるから、右認定判断を左右するものではない。
三以上のとおりであつて、中江の甲野に対する本件貸金債権の成立を認めることができないから、原告らは、債権者代位権の行使によつて保全されるべき債権を有するものではなく、原告適格を欠くものといえる。よつて、本件訴えは不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官平手勇治 裁判官後藤邦春 裁判官瀬戸口莊夫)